今時期は春のG1シリーズ、クラシックを迎える季節であるが、競馬の「け」の字も生活の中に見当たることはない。
1年前は、新聞といえば「日刊スポーツ」、休日には競馬ブック。
火曜日には決まって買う週刊競馬ブック。
それが今では、目を通す新聞は「日本経済新聞」と「福島民友」
本当に自分は「ギャンブル依存症」なのかと自分自身を疑うような。
自分、ギャンブル生活末期は、パチンコ・パチスロより「競馬」に冒されていた。
パチンコはというと、実はかなり前に遠ざかっている。大工の源さんが撤去された頃からかも。
その頃からパチといえば「スロ」一辺倒だったんだが、実際のところは「スロ」自体はそんなに赤字を被っているものでもない。
今でも時々、パチスロはやりたいと思うけどね。
パチスロをやらないんじゃなくて、正直のところは生活を考えると「できない」だけなんです。
お金が減るリスクのあるものに手を出すことへの恐怖感。
勝つこともあるかもしれないけど、希望的観測に身をゆだねることができない今の現実。
だから、賭ける金が大きい競馬は必然的に離れることができてるんじゃないかと。
100円単位の馬券を買うことに満足できない自分であることを自分がよく知っているから。
パチスロをやらなくてもストレスに感じない理由が自分にはあるのかも。
それは「時間」の使い方に関係があるような。
パチスロをやるとなると、会社帰りや休日の時間はパチスロにとられてしまう。
必然的にカミサンと子供たち、そう、大切な家族と接する時間が少なくなるということになるし。
お金儲けの手段として考えていたギャンブルだから、必要以上に「お金儲け」をしようと考えなければね。
医者(心療内科医)や上司には「GAに行け」と勧められたし、上司には「GAに行くのが使命だ」的に言われたことがあったけど、自分はGAに行かないまでも、なんとか競馬とパチスロやらずに生きてます。
本当に自分は「ギャンブル依存症」なのか?
最近よく思うことだけど、医者が「枯れ男さんはギャンブル依存症」というし、自分自身でもそう思っているから、間違いなく自分はギャンブル依存症なんでしょう。
ギャンブル依存からの回復は、何がきっかけになるのかは人それぞれ。
ギャンブルを「止める」、ギャンブルに浸かった生活の「再発を防ぐ」のが目標。
「ギャンブル依存を克服する目標」に限らず、目標を達成するための手段や方法は多種多様と自分は思います。
自分自身がどう考えて目標に向かって行動するかが大切なことと思います。
そんな自分が今、自分のために決めていること。
それは「100円たりとも再び馬券を買うという事実」が今後の自分に発生したら、必ず自らの意志でGAに行くこと。
ギャンブルで生活が破綻するのはもう懲り懲りだし、カミサンと子供たちの笑顔を見れなくなるのが、ギャンブルをできないことより自分にとって辛いことだから。
自分が今、ギャンブルをしなくなった本当の理由はこれなのかもしれない。