中学生になった枯れ男は「部活」を始めた。部活をやるということは、放課後や休日もヒマな時間が無くなるのであり。
部活によりゲーセン通いは無くなった。学級委員とかもしていた枯れ男は、どちらかといえば模範的だったかもしれない。
しかし、事件は訪れる。
中学2年の時、部活の顧問の先生とちょっとした口論の末、部活を退部した。帰宅部の始まりである。
ヒマを持て余す枯れ男は友人とゲームセンターに毎日のように出入を再開。
勿論、中学校でもゲームセンターへの出入は学校で禁止されていたが、当然枯れ男には。
当時、ボウリングがブームということもあり、ヒマを持て余していた自分は、ゲーセンの他にボウリングなど金のかかることで遊んでいた。ボウリング場にもゲーム機はあったし。
この頃はゼビウス、ドルアーガの塔なんぞに散財の嵐。Mr.Do!なんかも。
貰える小遣いは少なかったので、すぐにお金は無くなる。
中学生でもできるアルバイトってなんだ?いつもつるんでいた友人と考え、「新聞配達」をすることに。
新聞少年といえば家計や学費の足しに始めるということが多いかもしれない。
小遣い欲しさに新聞配達を始めた。今から20年以上前で当時の収入は月2万円である。
普通なら、多少なりとも苦労して稼いだお金の大切さを考えると思う。
遊ぶために始めたので、稼いだお金は遊ぶことに全て使ってしまっていた。
ファミコンも流行ったが、とまどうことなく本体を購入。ソフトも欲しいだけ買った。
「我慢する」ということが無かったのだ。それだけのお金を持っていたこともあり。
「貯金をする」ということは一切考えていなかった。
新聞配達は高校を卒業する寸前まで続けた。この頃の金銭感覚や体験がすでに浪費癖として心を蝕んでいたのかもしれない。