自分とギャンブル依存について、少しだけ現在日記である「
人生再生決死隊!」のブログで書いてみた。
以前、医師の診察を受けたときに、借金をしてギャンブルをするのは「ギャンブル依存症」と宣告をされたことがある。
医師の宣告なので自分は「ギャンブル依存症」であったことに変わりはないと思うのであるが。
「ギャンブル依存は完治しない」「治療できない」「GAに通って再発をいかにおさえるか」ということを話として受けたのである。
かれこれ半年前のことだ。
借金をしてまでのギャンブル行為をしていた自分の愚かさに気付いてから、ギャンブルに手を出すことなく生活できているし、ギャンブルをしないことが心の病を引き起こす原因にはなっていない。
いたって健全な生活ができているのだ。
借金と家族の問題は抱えているけど、これは人生再生の課題だから。
完治しないのがギャンブル依存症ならば、自分は本当にギャンブル依存症なのか?
依存の本質というか、依存はなぜ完治しないといわれるのか考えてみた。
自身の体験によるものなのでギャンブルに特化していること、好ましくない表現があるかもしれないことをご理解いただきたい。
借金をしてギャンブルをすることはギャンブル依存である証拠。
これはある意味極端な表現かもしれない。
元来、強弱はあれども「依存気質」は誰しもがもっているものと思うのであり、依存心をコントロールできないことが依存症といわれるものではないだろうか。
借金をしてとはいうが、借金がなくともギャンブル依存は成立すると思う。
この判断は、他人に迷惑を及ぼしているか否かじゃないかと。
自身のギャンブル行為が他人に迷惑を及ぼしている場合、必ず迷惑を被っている人から何らかの形でサインがある。
身近な人ほどそのサインは強いはず。自分も再三カミサンや両親からそのサインを受けていた。
にもかかわらず、ギャンブルを止めることができなかった自分がいた。
「うるせえなぁ。必ず儲かるんだから黙ってろ」という具合。
この時点ではギャンブラーがギャンブルに依存していることに気付いていないんですよ。
ギャンブルをすることが自分の日常だから、依存もへったくれもあったものじゃないので。
あの人はギャンブル依存症なんだと、本人より周囲がギャンブルを止めさせるのに懸命だったりもするのだ。
自身のギャンブル行為に他人が発しているサインを受け止めることができているなら、何かを犠牲にしてギャンブルをすることは無いだろう。
サインが出ること自体、何かが犠牲になり始めている、すでに犠牲になっているワケですから。
そこで、自分がギャンブルに依存していたことに気付き、あくまで自発的にギャンブルを止めることがギャンブル依存との決別になるんじゃないかと。
自発的に止めようと決断した人は思うほど苦労しないで離れることができると自分は思いますよ。自分がそうだから。
少しでも他人に抑制され、他人の意思が入り混じり、自身が完全に納得しないままギャンブルを止めることが再発の種となって残るのではと思うフシがある。
完全にうちのめされていない、ギャンブルにKO負けしていないから、再び立ち上がっちゃうんだろう。
確かに一種のコントロール障害だから、病気であることには違いない。
だけど、自身がギャンブル依存症と気付き、ギャンブルを止めようと思ってもギャンブルをしてしまうということは、ギャンブルに対して未練があるというか、依存にかまけた自分の甘さが故の「確信犯的行為」ではないかと。
ギャンブル依存症と自覚してギャンブルを止めようと思った時点で、ギャンブル依存進行形ではなく依存していた患者になるから。
自身の依存に気付いたうえで、それでもギャンブルを止めずに上手につきあおうとする人もいる。
やるやらないは、あくまで本人の意志なので、無意識のうちにギャンブルをしてしまうことは決してない。
止めたくてもギャンブルをやろうとする意志があるからギャンブルをやっちゃうんだよね。
それでも意志とは無関係だと思いますか(笑)
本気で依存と戦ってギャンブルを止めようとするなら、「自分はギャンブル依存症でした」と必然的に過去形になるような気がしてならんのです。
脳内麻薬も関連するから辛いのは当然。でも解決策は脳内麻薬と戦うしかないんだな。
ギャンブル依存が完治しないといわれる所以はこんなところかな。
結局、自身のギャンブル依存と戦うのは本人以外誰もいないから。
他人に迷惑がなければギャンブルはOKと思いますよ。自己責任だからね。
あなたにとってギャンブルとは何ですか?胸をはって「娯楽」と答えることができますか?
残念ながら自分はできません。
今の自分にとって、ギャンブルから得るものは何もありません。
以前、ギャンブルは自分にとって「お金」を生み出すものと思っており、日常の一部でした。
どうやらそれは自分が勝手に創った絵空事のようです。
もちろんギャンブルを娯楽と思ったことは一度もありません。
娯楽と答えることができる人は、ギャンブルに依存することなく支配されずにお付き合いができると思います。
さてさて、過去の日記を暴露するだけでは「手抜き」である、と自分自身が思ってからここの更新が停滞してしまった感。
その分、現在日記に力をいれている。というか、現在日記だけで手一杯なことが本当の理由なんだけど。
先日、現在日記にてギャンブル依存に少しふれたので、現在の自身におけるギャンブル依存に対する考えを綴ってみました。
そんな自分は今、ネット・ブログに依存しているかもしれないな(笑)
今後もこちらの更新は不定期でしばらくは頻度も低いと思いますが、よろです。