借金地獄,ギャンブル依存症,多重債務,脱出
今の枯れ男が欲しいもの。それは、あなたの応援です→banner_03.gif
今日も応援ありがとうございます。初めてのかたはここもご覧ください。
「ギャンブルをやめたい」「借金で悩んでいる」なら、お気軽にコメントを。ブログをお持ちならURL残して頂ければ。
物質的な応援はできませんが、あなたのブログへ応援に伺います。共によき未来を目指しましょう!
借金をしてギャンブルをしてしまう人と家族のかたへ
枯れ男の現在日記

浪費癖の始まりはインベーダー|お金の大切さが欠落していた子供時代

浪費癖の始まりはインベーダー|お金の大切さが欠落していた子供時代

借金暴露を誓ったが、何から書こう?と考え、まずは枯れ男自身の浪費から始めますか。

浪費癖はいつから始まったのだろう。
子供の頃からお金の大切さをあまり考えなかった、大事なことが欠落していた枯れ男です。
それなのに「お金」への執着心は人並み以上に強かったかもしれないけど。

自分が小学生の頃、一世を風靡したインベーダー。
そのインベーダーと初めて出会ったのは町内のパチンコ店内。
あそこのパチンコ店に「インベーダー」があるよ、行ってみよう。と友達数人でパチンコ店へ。

大人達の娯楽の場に子供たちだけで入店。特に店員からお咎めも無かったことをいいことに、お金があればインベーダーに突撃。1ゲーム100円という高価なゲーム代も気にせずに。

その後、学校帰りの通学路、途中にある駄菓子屋さんとかおもちゃ屋さんにゲーム機が設置される。
1ゲーム50円なので今度はそっちに通い詰め。学校ではゲームが禁止されていたが、そんな事はおかまい無し。
学校の先生に見つかって、職員室に正座させられる。もうゲームはしません、なんて言っときながら舌の根も乾かないうちにゲーセン通い。ゲーム依存症です。

ギャラクシアンとかパックマンとか。プレステのソフト「ナムコミュージアム」シリーズに収録されているゲームのほとんどは実機でプレイしたことがあると思う。

子供の頃からゲームで浪費していた枯れ男です。
お金を出してゲームをやることは「ギャンブラー」としての下地が形成されやすいとか。
確かに、子供の頃ゲーセンでつるんでいた友人をパチンコ店で見かけることが多かったので。

今の子供たちは、ゲームといえば家庭用ゲームだろう。お金を出してゲーセンで実機プレイは自分が子供の頃に比べると少ないかもしれないが。

枯れ男の借金とギャンブルの暴露はこれが加速のスイッチ→banner_03.gif
応援ありがとうございました。
借金地獄「ギャンブル依存症」からの脱出|多重債務者の足跡

posted by 枯れ男|2006年10月04日 | Comment(0) | TrackBack(0) | 浪費癖

我慢を知らないが故に|浪費癖が蝕む心

我慢を知らないが故に|浪費癖が蝕む心

浪費癖はすでに小学校時代から形成されていたと思う。
中学生になった枯れ男は「部活」を始めた。部活をやるということは、放課後や休日もヒマな時間が無くなるのであり。

部活によりゲーセン通いは無くなった。学級委員とかもしていた枯れ男は、どちらかといえば模範的だったかもしれない。

しかし、事件は訪れる。
中学2年の時、部活の顧問の先生とちょっとした口論の末、部活を退部した。帰宅部の始まりである。
ヒマを持て余す枯れ男は友人とゲームセンターに毎日のように出入を再開。
勿論、中学校でもゲームセンターへの出入は学校で禁止されていたが、当然枯れ男には。

当時、ボウリングがブームということもあり、ヒマを持て余していた自分は、ゲーセンの他にボウリングなど金のかかることで遊んでいた。ボウリング場にもゲーム機はあったし。
この頃はゼビウス、ドルアーガの塔なんぞに散財の嵐。Mr.Do!なんかも。

貰える小遣いは少なかったので、すぐにお金は無くなる。
中学生でもできるアルバイトってなんだ?いつもつるんでいた友人と考え、「新聞配達」をすることに。

新聞少年といえば家計や学費の足しに始めるということが多いかもしれない。
小遣い欲しさに新聞配達を始めた。今から20年以上前で当時の収入は月2万円である。

普通なら、多少なりとも苦労して稼いだお金の大切さを考えると思う。

遊ぶために始めたので、稼いだお金は遊ぶことに全て使ってしまっていた。
ファミコンも流行ったが、とまどうことなく本体を購入。ソフトも欲しいだけ買った。
「我慢する」ということが無かったのだ。それだけのお金を持っていたこともあり。
「貯金をする」ということは一切考えていなかった。

新聞配達は高校を卒業する寸前まで続けた。この頃の金銭感覚や体験がすでに浪費癖として心を蝕んでいたのかもしれない。

枯れ男の借金とギャンブルの暴露はこれが加速のスイッチ→banner_03.gif
応援ありがとうございました。
借金地獄「ギャンブル依存症」からの脱出|多重債務者の足跡

posted by 枯れ男|2006年10月04日 | Comment(0) | TrackBack(0) | 浪費癖

浪費の方程式|楽して遊んで稼ぐこと

浪費の方程式|楽して遊んで稼ぐこと

高校生になると、アルバイトの選択肢も増える。
しかし、日中は遊びたい、多少遊ぶ金があれば困らなかったので、アルバイトは「新聞配達」だけ。

学校の授業が終われば、勉学そっちのけで相変わらず遊び呆ける毎日。
ゲーセン通いもさることながら、自宅の自分の部屋は物置の2階にあり、母屋とは離れだったので、仲間が集まる溜まり場と化していた。
TVゲームをやる者、麻雀をやる者、毎日のように5・6人は集まっていた。
多いときは10人近くなんてことも。

当然、勉強しないから成績も良くない。中学時代はそれなりだった成績も高校では下から数えたほうが早かった。

一応「進学校」ではあったが、高校に入学した当初から「大学」には進学せずに卒業したら「就職」しろなんて親から言われていた。
今となっては後悔だけど、勉強しとけば大学いけたのかもね。

高校3年の冬休み前には就職が内定していた。クラスの中でも一番手くらいに卒業後の道が決まったはずと記憶している。友人の多くは受験のために勉学に励んでいた。

18歳になって、高校卒業前に自動車免許を取得した。
学校に隠れてクルマを乗り回し、パチンコも始めた。運転免許証を持っているので、年齢を聞かれても何ら問題ない。
初めはゲーム感覚でパチンコをやったような記憶が。やはり、ゲーム、ゲーセン通いの下地がギャンブルに「違和感」を感じさせることなく枯れ男をそうさせたような気がする。

学校の先生に見つかればやばいのだが、ちょっと遠出すればそんなのも関係無いし。
当時のパチンコは羽根モノで勝負。デジパチもあったが、持っているお金と相談しながら。

負けることよりは勝つことのほうが多かった。それなりにクギを勉強したから。
楽して遊んで稼ぐという、よくない浪費の方程式が完成してしまっていた。
しかも高校卒業前に。普通ではないな。

枯れ男の借金とギャンブルの暴露はこれが加速のスイッチ→banner_03.gif
応援ありがとうございました。
借金地獄「ギャンブル依存症」からの脱出|多重債務者の足跡

posted by 枯れ男|2006年10月05日 | Comment(0) | TrackBack(0) | 浪費癖

浪費が増す生活|社会人デビュー

浪費が増す生活|社会人デビュー

昭和晩年にさしかかった頃、悪事はしていたものの無事高校を卒業し、晴れて「社会人」としてデビューした枯れ男である。

入社した会社は一部上場企業。大学卒でもなかなか入社できない会社である。
基本的には転勤族。入社して寮生活が始まった。
福利厚生がしっかりしているので、食と住には困らない。結婚したら社宅が用意されるし、その使用料は普通にアパートを借りる費用より安いし。

寮住まいではあるものの、実家も比較的近かったし、土地勘もあったので生活にはすぐ馴染めた。
当時は、入社して最初の2年間自分の自動車を所有することが禁じられていた以外はさほど不便を感じなかった。

週休2日で、休みが多い。その休日は高校時代から手を染めたパチンコで過ごすことが多かった。
実家に帰ってもパチンコ店が近所にあったので、休日はパチンコという生活が当り前になった。
親父もパチンコが好きだったこともあり、よく一緒に行っていた。

なまじ、金を持つようになったので、最初は羽根モノ主体だったパチンコも、デジパチやパチスロに移行した。
1.5号機のニューペガサスが全盛の頃である。
この頃から酒も覚え、パチンコで勝てば酒盛り。負けたらうっぷん晴らしで居酒屋からスナック巡りということが毎日のように続く。

当然、勝った分は気前よく使うし、パチンコで負けても酒飲みに行くのだから金なんて残らない。
浪費が鋭さを増していたが、そんなことはお構いなしの生活を送っていた。
成人前の若造がするようなことではない。

枯れ男の借金とギャンブルの暴露はこれが加速のスイッチ→banner_03.gif
応援ありがとうございました。
借金地獄「ギャンブル依存症」からの脱出|多重債務者の足跡

posted by 枯れ男|2006年10月05日 | Comment(2) | TrackBack(0) | 浪費癖

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。